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砂時計の気まぐれ倉庫

過去にどこかに書いた文章の気まぐれな再録が中心です。

それぞれの花ありてこそ野は愉し

(2006年3月15日にアップしたmixi日記の再録です)


 自分が保育所に通っていた頃、『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』が始まり、間もなく空前の変身ヒーローブームが巻き起こった。 
 ちょうどそういうものに夢中になりやすい年齢だった自分は当然のようにそれらにハマることになった。 
 当時は毎日ブラウン管に怪獣や怪人が現れ、幾多のヒーローが変身し戦っていて、自分は画面に釘付けになってそれを見ていたのだった。 

 この変身ヒーローブームは、その後の自分の趣味に少なからず影響を残すことになった(ただし、特撮ファンになったという意味ではない)。 
 ある決まったパターンを持つ存在が複数あって、それぞれが個性的で魅力を放っている。そういう状態自体に快感を覚えるようになったのだ(「定型」と「個性」が生み出す快感とでも言おうか)。 
 この「変身ヒーロー」に始まり、「巨人軍を舞台とした魔球マンガ」、「推理小説の名探偵」、「刑事ドラマ」、「アイドル歌手」、「教師物の学園ドラマ」、「プロ野球物のテレビゲーム」、etc……。 

 もし幼少の頃にジャイアント・ロボやマグマ大使スペクトルマンシルバー仮面シルバー仮面ジャイアントレインボーマンやダイヤモンド・アイやコンドールマンやバロム・1やミラーマンやジャンボーグAやジャンボーグ9やキカイダーや01やイナズマンロボット刑事変身忍者嵐や白獅子仮面やライオン丸やタイガーセブンやザボーガーやストロングザボーガーやアンドロ仮面やレッドバロンやマッハバロンやサンダーマスクやアイアンキングトリプルファイターや魔人ハンターミツルギやヒューマンやヒューマンJr.や忍者キャプターや流星人間ゾーンやアクマイザー3やカゲスターやレッドマングリーンマンゴッドマンや、その他もろもろのヒーローたちに出会っていなかったら、今ほどミステリ好きでもドラマ好きでもなかったかもしれない。 

稲垣吾郎版『悪魔が来りて笛を吹く』感想まとめ

(2007年1月7日に自分の管理する掲示板に書きこんだ文章の再録です)

「ええ、よしましょう。金田一先生、有難うございました」
こんばんは、砂時計です。
前の書きこみに購入本として挙げたローレンス・ブロック『処刑宣告』は出た時に既に買っていたことが判明……。こりゃ『死者の長い列』もどっかにありそうだな……。

一昨日の夜はフジテレビ系列で放映された佐藤嗣麻子脚本・星護演出・稲垣吾郎主演の金田一耕助シリーズ第四弾『悪魔が来りて笛を吹く』を視聴。
このシリーズ、ミステリとしての原作を尊重する姿勢が好きで、過去の映像化作品では切り捨てられがちだった細かい部分を掬い上げて映像にするあたりに好感を持っていたので、かなり期待していたんですが、その意味では期待外れでした。うーん……。
あの長編を正味二時間の本編にまとめるのが難作業なのは解るのですが、原作にある密室殺人、伏線や手がかりやミスディレクションの数々、随所に仕掛けられた展開の意外性、など、ここは押さえておいて欲しいというところが大幅にカットされ、そうでないところが引き伸ばされている感じで……。整合性に欠けるオリジナル展開もいくつか目について、その点も気になりました。
キャスティグは良かったのですが、ヒロイン以外の事件関係者は終盤に至るまで登場人物表に毛の生えたような描写しかされず、それで「この人が犯人でした」と説明されてもなあ……という思いも。

映像美やセット・小道具などのビジュアル面はいい感じだったし、重点的に描かれた犯人の動機部分のドラマ性なども良かったんですが、やっぱりミステリ好きの立場としては不満が残ります。
まあ、今回は自分にとっては残念な出来でしたが、次回作に期待。

ところで、ある人物の名前が原作通りに出てきた時は「おおっ」と声を挙げてしまいました。これはひょっとしたら……。

で、話は明後日の方向に行っちゃいますが、このシリーズの音楽を手がけているのは↑でプッシュしている『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』と同じ佐橋俊彦氏。
佐橋氏の作曲による劇中曲「悪魔が来りて笛を吹く」を聴いて、同じく劇中で謎の人物が演奏する曲ということで『ブレーメン』の劇中曲「おばけのハーモニカ曲」を思い出した人間は、自分以外にどれだけいるのかな。



(以下は2007年1月7日にアップしたmixi日記の再録です。一部割愛)

 観た直後は落胆が大きくて「もうやんなくていいよ、このシリーズ」とまで思ったフジテレビのドラマ『悪魔が来りて笛を吹く』ですが、もう一度観直してみたら、シリーズの一本としてこれもアリだと思えたし、まあ、今回は今回。次回に期待することにします。 

 黒猫荘のほうに簡単な感想を書きましたが、こちらでは納得いかない点だけつぶやいてみようかと思います。 
 以下、「悪魔が」から「笛を吹いたんです」までの間に書く部分はネタバレですので知りたくないかたは飛ばしてください(直接犯人の名前を書くようなことはしませんが)。 







悪魔が 

●新聞の同じ面に二つの記事て……そりゃ誰が見ても気づくんじゃ…… 
●そうやって最初に顔の類似を出してるのに遺書の「屈辱・不名誉」に関しての想像ではその件はスルーですか…… 
●家族には虚偽の行き先を告げていたことが判明し、アリバイが証明されていない状態で、なぜ取調べから解放されたのか?…… 
●須磨~明石~淡路島行に捜査を指揮している橘がなんで同行するんだ……事件関係者の一人である美禰子もよく勝手に出てこられたな…… 
●なんだよあの濃茶の尼チックな妙海尼……横溝作品のパターンに対する世間のステレオタイプなイメージを助長するようなまねはやめてほしい…… 
●先を越されちゃ意味ないだろー。取り乱して明日出直そうということになったのはたまたまだし、充分先回りできた筈なのに…… 
●あと、文机の上のアレは処分しなさいよ…… 
●自分で吹くんならすぐ気づかなきゃ……あと、そのことが身元照会につながったんだろうけど(<説明はなかったけど)、それは原作の漠然とした疑惑と違って直接「悪魔」を指し示すことが分かってるんだから、も少し早く犯人として追いつめるべきでは…… 
●直接聞き出せる本人がその場にいる状態での「何を見たのか」実験は間抜けすぎ…… 
●原作の状況と違って利彦殺しのチャンスを作るのは難しかったんじゃないかなあ……
 

笛を吹いたんです 






 原作は実は横溝作品で一番好きだったりします。 
 トリックは小味ですが、伏線の配置、展開の論理性といった部分で実に形の良さを感じさせるミステリになっていると思うんですよね。あの構築美がたまらん。 
 そして、登場人物にも愛着があります。 
 美禰子は横溝作品のヒロインの中で一番好きだし、一彦も菊江も東太郎もおすみちゃんも大好き。 
 あの利彦でさえも、そのダメ人間ぶりに愛おしさを覚えてしまうくらい。 
 ラスト近くの犯人の言葉を読むと、いつも涙が出そうになるですよ。 

 ところで、この作品の映像版では恒例となっている劇中曲「悪魔が来りて笛を吹く」。それぞれの映像作品ごとにオリジナル曲が作られるわけですが、稲垣版シリーズで音楽を担当している佐橋俊彦氏は、自分の愛するドラマ『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』でも劇中曲として、遠藤雄弥くんが演じる謎の少年が演奏する「おばけのハーモニカ曲」(ドラマの外でのタイトルは「約束」)を作っています。 
 なので、今回のドラマでフルート怪人が現れるたびに、ハーモニカおばけも一緒に出現しないかなあ、と馬鹿なことを考えてしまいました。ドラマ『のだめカンタービレ』を観てた時も、遠藤くん演じる大河内がいつハーモニカを吹き始めるかと……(バカ)。 

・今日のつぶやき(敬称略)…… 
●ドラマ『夢のカリフォルニア』を観て宮藤官九郎に、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観て吉岡秀隆に、ドラマ『アキハバラ@DEEP』を観て風間俊介に、それぞれ金田一耕助をやらせてみたいと思う…… 
●原作通り二十年かかって事件が解決する『病院坂の首縊りの家』をドラマで観てみたい。金田一耕助吉岡秀隆森本レオ、ヒロインは増田未亜水沢アキで…… 

『虚無への供物』と『33分探偵』

(2008年9月28日にアップしたmixi日記の再録です)

 これまでにも小栗虫太郎作品やアントニイ・バークリー作品やジョイス・ポーター作品やコリン・デクスター作品などを連想してきたが。 

 最終回を観てようやく悟った。 

『33分探偵』って中井英夫『虚無への供物』だったのか。 
(どこがどうというのはネタばらしにつながるので書かない) 

 それも『虚無への供物』そのままではなく、犯人と探偵を反転させることで「名探偵の存在理由とは何か」という問いに一つの答を示してみせたアンチ・ミステリー。 

  



 なーんてテキトーなことを書いてみる……。

いましめの言葉

(2011年3月29日にアップしたmixi日記の再録です)


「ワトスン君、ぼくが自分の力を過信したり、事件に対して正当な骨折りを惜しんだりして、目につくようなことがあったら、ぼくの耳もとへ『ノーベリ』とささやいてくれたまえ、そうしてくれりゃ、大変ありがたいな」(シャーロック・ホームズコナン・ドイル/阿部知二訳『回想のシャーロック・ホームズ』(創元推理文庫)所収「黄色い顔」より― 


「こんな話、忘れちまってくれ。いや、そうじゃない……おぼえといてくれ。そして、いつでもいい、ぼくが自惚れだしたなと思ったら……(略)そのときは、いいかね、君。<チョコレートの箱>って言ってくれ。わかったね?」(エルキュール・ポアロアガサ・クリスティー小倉多加志訳『ポアロ登場』(ハヤカワ・ミステリ文庫)所収「チョコレートの箱」より― 

 作曲家・服部公一が書いた「やっこらしょ、どっこいしょ」というタイトルのエッセイがある。 
 自分は実際に読んだことはなく、北村薫『謎物語―あるいは物語の謎』(中央公論新社。のちに、中公文庫、角川文庫)で抜粋され紹介されていたのを読んだだけなのだが、北村薫の語り口の見事さも相俟って、今も強く胸に刻みつけられているのだ。 
  
 そのエッセイがどんなものかは、こちらのブログでも知ることができる。 

報道と誤解―「どっこいしょ」3(高世仁の「諸悪莫作」日記) 
  
(続き) 
報道と誤解―「どっこいしょ」4(高世仁の「諸悪莫作」日記) 

 報道される事実からは見えない真実もある。 

 犯罪の容疑で逮捕された人物を犯人と決めつけた報道を見聞きしたとき、自分は心の中でつぶやく。 
「松本サリン事件」と。 

 そして、何かが起きてマスコミや世論が一億総リンチの様相を呈してきたとき、やはり心の中で、こうつぶやくのだ。 
「やっこらしょ、どっこいしょ」と。 

 あ、「セクハラサイコロ」でも可。 

※2016年5月29日追記
 セクハラサイコロについては文中のリンク先の記事が削除されているのでこちらを。

『へんしん!ポンポコ玉』

(2006年11月20日にアップしたmixi日記の再録です)


 24年前、大林宣彦監督の映画『転校生』が公開された時、その設定を知って思ったのが「これって『へんしん!ポンポコ玉』じゃん!」。 


 幼い頃大好きだった子供向けドラマ『へんしん!ポンポコ玉』がDVDに 

 自分にとって「少年と少女の体が入れ替わる話」といえばコレなんですよねー。 

 このドラマが放映されたのが1973年の4月~7月。 

『転校生』の原作小説、山中恒おれがあいつであいつがおれで』の初出は、手持ちの旺文社文庫版の大林宣彦解説によると、雑誌『小6時代』1979年4月号から一年間連載とのこと。 

 男女入れ替わり物としては、このドラマのほうがずっと早かったわけです(もちろん、アイテムで一時的に入れ替わるのと、アクシデントで入れ替わってしまって戻れるかどうかも分からないのとでは大きな違いがありますが)。 


 さて、このDVD化を知りネットで情報を拾っていて気になったことがありました。 

 ウィキペディアの「おれがあいつであいつがおれで」の項を読むと、サトウハチローの小説「あべこべ物語」(原題「あべこべ玉」)が『へんしん!ポンポコ玉』の原作だという内容の記述があり、同様のことを書いている個人ブログも見かけました(自分はこの小説のことは全く知りませんでしたが、雑誌に掲載されたのは戦前という話もあり、ドラマよりもずっとずっとずっと早い)。 

 しかし、Amazonの「商品の説明」を読むと、ドラマに「原作」のクレジットは無い様子。番組資料として原作に触れたサイトがあるか探してみましたが見つかりませんでした。 

 サトウハチローの小説は兄妹の体が入れ替わる話のようですし、物語自体はドラマ独自のものだと思いますが、作品の核となるアイデアが共通していて、なおかつ入れ替わりのアイテムの名称が小説でも「ポンポコ玉」とのこと。これは無関係だとは思えません。 

 この小説とドラマの関係について詳しいことをご存じの方がいらっしゃいましたらご教示願えませんでしょうか。情報お待ちしております。 

「重いコンダラ」の幻

(2006年11月1日にアップしたmixi日記の再録です)


  ♪その物の名はコンダーラ 飛雄馬が引く慣らしローラー 
 どうしたら見れるのだろう 教えてほしい…… 

 清水義範/え・西原理恵子『はじめてわかる国語』の中の「あの歌はこんな意味だった」という章の冒頭で、清水氏は次のように書いています(講談社文庫版205ページ。歌いだしの記号はPCでは出せないので「♪」に替えます)。 

 子供の頃、歌を覚えて大いに歌っていたのだが、実は歌詞の意味をまるで勘違いしていた、という笑い話がある。自分だけでとんでもない誤解をして、それで正しいもんだと信じていた、という失敗談だ。 
 その有名なものが、「巨人の星」というアニメのテーマソングだろう。 
 ♪思い込んだら試練の道を 
   行くが男のど根性 
 という歌いだしの、「思い込んだら」の部分を「重いコンダーラ」だと思っていた人がいるのだ。 
 コンダーラとは何か、ときいてみると、星飛雄馬があそこで引いている地ならし装置のことを、コンダーラというのかと思ってたんです、と答える。 
 確かに、その歌が流れている時、画面では飛雄馬がローラーを重そうに引いてグラウンドを整備しているシーンが映っている。小さな子はそれがローラーというものだとは知らないから、わっ本当に重そうだ、あれはコンダーラというものなのか、と考えてしまうのだ。とても愉快な間違いである。

 笑い話としては有名なネタで、知っている人も多いと思います。このことについて触れた文章を見ることも珍しくなく、近年ではある雑誌での大槻ケンヂ×齋藤孝対談の中で話題にのぼっていたのが思い出されます。 
 あるラジオ番組にこのネタの投稿があってパーソナリティーに大いにウケ、「おもいこんだら」というコーナー名になった、なんてことも過去にはありました。 
 試しに「重いコンダラ」(「コンダーラ」よりも「コンダラ」のほうが一般的)をグーグルで検索してみたところ、ヒット数は約2万7千件。やはり広範囲に広まっている話のようです。が……。 

 このネタを見聞きする度に、どうにも引っかかるものがありました。それは、アニメ『巨人の星』オープニングのタイトルバックの中に、そんなシーンは存在しないということを知っていたからです。 
 しかし、主題歌「ゆけゆけ飛雄馬」はエンディングのタイトルバック(こちらはアニメーションではなく静止画の切り替えタイプ)でも流れており、そちらのほうにも無かったかどうかは記憶がはっきりせずモヤモヤ状態。機会があったら確かめてスッキリさせたいと思っていました。そして、先日立ち寄ったTSUTAYAに『巨人の星』のDVDがあるのを見つけたのです。 
 エンディングは確か前期と後期で違うバージョンだった筈、ということで、それぞれから一巻ずつ抜き出し、借りてきて確認しました。 

 結論を言おう!星くんっ(誰だよお前)。 

 エンディングにもそんな絵は存在せず。つまり、このネタは、有賀さつきアナが「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたという話と同様、事実とは違うことを多くの人が信じこんでいるケースだというのが判明したわけです(実際にはそんなシーンが無いのを承知の上で「まあ、ネタなんだし、うるさく言うこともないだろう」と考えている人も相当数いそうですが)。 
「コンダラ」は「はてなダイアリー」のキーワードにもなっていて、その中に「初期オープニングには登場しない?」と書かれていますが、執筆した人は実際にオープニングを見て「アレ?」と思ったことがあるのでしょう。オープニングのアニメーションは一種類で、初期や後期の別など無い、というのが本当のところなのですが。 
 なお、オープニングのタイトルバックでは歌詞がテロップで表示され、該当の箇所は「思いこんだら」と漢字混じりになっているので、「重い」と勘違いするのは考えにくい、ということも言えます。 

 実体の無い話がここまで広まったのは、ネタとしての完成度が高い上に、そういえばそんなシーンがあったっけ、と思わせてしまう、人の記憶を操作するような力が働いたからでしょうか。 
 この話を最初に生み出した人物、というのは間違い無く存在する筈ですが、それを特定するのは無理でしょうね。 
 雑誌『ビックリハウス』終刊号に再録されていた過去の投稿作品の中にこのネタがあったのを記憶していて、それが自分の知る最古のものだと思うのですが、アニメの放映年月を考えると、もっと前にラジオの深夜放送なんかで既にあった可能性も大いに考えられますし。 
 そこらへんについて確かな記憶をお持ちの方がいらっしゃいましたら、情報お待ちしております(笑)。 

・今日のつぶやき(敬称略)…… 
●グーグルアースで「ベイカー街」を探してみたところ、岡山市へ……「おれが帰らないと三人の妹たちが殺される……アフガニスタンで戦友の鬼頭千万太がそう言ってたんだよ、ホームズ」「よし、急ごう、ワトスン―獄門島へ」なんて会話を妄想……(あ、「Baker Street,London」と入れたら、ちゃんとロンドンに行けました)…… 

(ネタバレ)『容疑者Xの献身』騒動に関して言いたいと思ってたこと

(2006年9月13日にアップしたmixi日記の再録です)


 東野圭吾『容疑者Xの献身』の真相に触れますので、この小説を未読の方は以下の文章をお読みにならないでください。 

 限られた人しか目を通すことができないようなことを日記に書くべきではないと思いますが、今回は例外。 
 なお、文章の性格上、敬称は略します。 















『容疑者Xの献身』の評価を巡る一連の騒動については、騒ぎの中心にいる二階堂黎人の主張が支離滅裂で、プロ・アマを問わず、またネット・紙媒体を問わず、そのおかしさを指摘した文章は多々溢れているので自分なんかが発言を加える意味などないと思っている(そういった指摘に対してまともに答えもせずどんどん話を歪めている二階堂の姿勢に対しても同様)。 

 ただ、この作品を論じた文章の中に見かけたことがない点について、一つだけずっと言いたいと思っていたことがあった。 
 殺人を犯した赤の他人のアリバイ作りのために新たな殺人を犯す。この逆説に満ちたサプライズが「本格」の面白さでなくて何だと言うのだ。 

 自分にとってはその部分こそがこの作品を「面白い本格」たらしめている一番のポイントなのだ。そして、「幾何の問題に見せかけて実は関数の問題」という実に探偵小説的な発想による倒叙形式と叙述トリックの組み合わせがそれを支えている。 
 中心となるアイデアも、それを生かすテクニックも鮮やかで、「本格ミステリ」の年間ベストに選出されたとして何の不思議もない作品だと自分は思う。 

 以下、コジツケめいた考察。 

 島田荘司占星術殺人事件』や綾辻行人時計館の殺人』などもそうだけれど、トリックの構造が単純であればあるほど、発想の転換による驚きを読者に与える度合いは大きい。そのようなサプライズを含んだ作品は裏を返せば読者が直感的に真相を見抜くことも難しくないわけだが、探偵役の説明を待たずに見破ったとしても、気づいた時点での驚きというものがあり、それはやはり探偵小説の醍醐味を味わわせてくれるものだ。 
「(真相当ての)難易度が低い」ことが「作品の質が低い」ことだとは自分は思わない。サプライズの質こそが重要なのだ。 

 笠井潔小森健太朗は、この作品の被害者入れ替えトリックを古典的であり初歩的であるとして斬り捨てているが、自分はそれに違和感を覚える。上で述べたように真相を見破る読者は多いかもしれないが、そこにあるサプライズをちゃんと読み取っていれば、そのような見方は出てこないはずだ。つまり、彼らにはこの「アリバイ作りのために殺人を犯す」というサプライズが見えていないのではないか。 
  
「富樫殺し」と「ホームレス殺し」を同等の重大性を持つ行為だと認識する読者にとっては、「富樫殺し」のアリバイを作るために「ホームレス殺し」を行うというのは余りにも常識破りの発想であって、だからこそサプライズが生じる。 
 しかし彼らは「ホームレス殺し」を単なる「死体調達の手段」としか見ていないのではないか。だからこそホームレスが出てきた時点で簡単に死体入れ替わりの可能性に到達できた。 
 笠井は「ホームレスが見えない読者」を問題視しているが、自分はそれには納得できない。笠井の論旨に従うなら、本当に問題なのは「ホームレスを死体候補として見てしまう読者」のほうではないのだろうか。