史上最低の3B!じゃなかった
(2009年5月18日にアップしたmixi日記の再録です)
最近、「日本ペンクラブ:電子文藝館」(http://bungeikan.jp/domestic/)に『3年B組金八先生』第7シリーズ初回スペシャルのシナリオ(http://bungeikan.jp/domestic/detail/187/)が掲載されているのを見つけてザッと読んでみました。最初の紹介文によれば決定稿とのこと(抄出とありますが、どこが省かれているのかは不明)。
公式サイトでのあらすじにもあるように、放映時には「史上最低の3B!」というサブタイトルが付けられていて、番組スタート当時、「今までの金八のやり方が通用しない生徒たち」という点がナビ番組やTV雑誌などでもアピールされていたと記憶しています。
第7シリーズ序盤を観ていた時に自分が思っていたのは「これは、脚本家の意図からは外れた演出・演技なのではないだろうか」ということでした。
シリアスな場面として構想されたと思えるのに、福澤Dの演出や武田氏の演技が変にコミカルな味を加えて全く別方向に行っちゃってる、と感じることが多かったのです。
今回シナリオに目を通すにあたって、その点を確認したいという思いがありました。
そして、読んでみて―。
予想を上回る違いに吃驚。
『3年B組金八先生』というドラマシリーズは、特に教室のシーンなど、現場で生まれる要素が多いというのは知っていたので、例えば、車掌がハンドマイクを持ってないとか、伸太郎が特に目立った言動を見せていないとか、そういった生徒の個性づけに関する差異なんかは「ほお」と思うくらいなのですが、終盤が全然違う。
※以下、展開に触れます。
観てからかなり経つので細部は忘れていますが、オンエアされたドラマでは、言うことを聞かない生徒に対して金八が「出て行け!」とキレる。それを受けて大半の生徒が教室から出て行ってしまい、「しまった」と後悔する金八(その一連の流れの中で主題歌がかかる)。
残った生徒に慰められつつ、ドラッグについての説教を始める金八。
その声をバックに、教室を出た生徒たちがそれぞれ思い思いの行動をとっている場面が流れ、エンドロールがかぶさる。金八の説教は、妙に自分だけ入り込んで熱くなっているような喋り方。そして、しゅうが―。
……という流れだったと記憶しています(多少違っているかもしれませんが)。
今までの金八のやり方が通用しない、というのを象徴的に表した場面です(観ている側としては、今までのやり方も何も、態度からして今までの金八と違うじゃん、と感じていましたが)。
それが、そもそもシナリオでは生徒たちは教室を出て行かないのだ。
全員揃って神妙に金八の説教を聞いてるのだ。
このシナリオをそれ以前のシリーズと同じように演出し、武田氏がそれまでと同じように金八を演じたなら、オンエアされたドラマではエンディング後のオマケのようだった説教は本来この回のクライマックスで、例えば第5シリーズの死刑囚の句の話の時のように、静かに、深く沁み入るようなものになっていたんじゃなかろうか。
半年間担任やってて全然生徒の心をつかめていない金八も、生徒相手に子供っぽくムキになる金八も、言葉が生徒たちの心に届かない金八も、このシナリオの中にはいない。
そして、学級崩壊寸前の3Bも。全然「史上最低の3B」なんかじゃなかった。四年半経って知る真実。
シリーズそのものの方向性に大きく関わる部分で、当初の脚本家の構想にこんな形で改変が加えられていたとは、思いもしなかったことでした。無断で、というわけではなかったと思いますが、それにしても……。福澤Dの意向が物語を動かす度合いが、この時点で頂点に達していたのかなあ。
そして、このシリーズの途中で脚本家交代へ―。
それぞれの花ありてこそ野は愉し
(2006年3月15日にアップしたmixi日記の再録です)
稲垣吾郎版『悪魔が来りて笛を吹く』感想まとめ
(2007年1月7日に自分の管理する掲示板に書きこんだ文章の再録です)
「ええ、よしましょう。金田一先生、有難うございました」
こんばんは、砂時計です。
前の書きこみに購入本として挙げたローレンス・ブロック『処刑宣告』は出た時に既に買っていたことが判明……。こりゃ『死者の長い列』もどっかにありそうだな……。
一昨日の夜はフジテレビ系列で放映された佐藤嗣麻子脚本・星護演出・稲垣吾郎主演の金田一耕助シリーズ第四弾『悪魔が来りて笛を吹く』を視聴。
このシリーズ、ミステリとしての原作を尊重する姿勢が好きで、過去の映像化作品では切り捨てられがちだった細かい部分を掬い上げて映像にするあたりに好感を持っていたので、かなり期待していたんですが、その意味では期待外れでした。うーん……。
あの長編を正味二時間の本編にまとめるのが難作業なのは解るのですが、原作にある密室殺人、伏線や手がかりやミスディレクションの数々、随所に仕掛けられた展開の意外性、など、ここは押さえておいて欲しいというところが大幅にカットされ、そうでないところが引き伸ばされている感じで……。整合性に欠けるオリジナル展開もいくつか目について、その点も気になりました。
キャスティグは良かったのですが、ヒロイン以外の事件関係者は終盤に至るまで登場人物表に毛の生えたような描写しかされず、それで「この人が犯人でした」と説明されてもなあ……という思いも。
映像美やセット・小道具などのビジュアル面はいい感じだったし、重点的に描かれた犯人の動機部分のドラマ性なども良かったんですが、やっぱりミステリ好きの立場としては不満が残ります。
まあ、今回は自分にとっては残念な出来でしたが、次回作に期待。
ところで、ある人物の名前が原作通りに出てきた時は「おおっ」と声を挙げてしまいました。これはひょっとしたら……。
で、話は明後日の方向に行っちゃいますが、このシリーズの音楽を手がけているのは↑でプッシュしている『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』と同じ佐橋俊彦氏。
佐橋氏の作曲による劇中曲「悪魔が来りて笛を吹く」を聴いて、同じく劇中で謎の人物が演奏する曲ということで『ブレーメン』の劇中曲「おばけのハーモニカ曲」を思い出した人間は、自分以外にどれだけいるのかな。
(以下は2007年1月7日にアップしたmixi日記の再録です。一部割愛)
観た直後は落胆が大きくて「もうやんなくていいよ、このシリーズ」とまで思ったフジテレビのドラマ『悪魔が来りて笛を吹く』ですが、もう一度観直してみたら、シリーズの一本としてこれもアリだと思えたし、まあ、今回は今回。次回に期待することにします。
黒猫荘のほうに簡単な感想を書きましたが、こちらでは納得いかない点だけつぶやいてみようかと思います。
以下、「悪魔が」から「笛を吹いたんです」までの間に書く部分はネタバレですので知りたくないかたは飛ばしてください(直接犯人の名前を書くようなことはしませんが)。
悪魔が
●新聞の同じ面に二つの記事て……そりゃ誰が見ても気づくんじゃ……
●そうやって最初に顔の類似を出してるのに遺書の「屈辱・不名誉」に関しての想像ではその件はスルーですか……
●家族には虚偽の行き先を告げていたことが判明し、アリバイが証明されていない状態で、なぜ取調べから解放されたのか?……
●須磨~明石~淡路島行に捜査を指揮している橘がなんで同行するんだ……事件関係者の一人である美禰子もよく勝手に出てこられたな……
●なんだよあの濃茶の尼チックな妙海尼……横溝作品のパターンに対する世間のステレオタイプなイメージを助長するようなまねはやめてほしい……
●先を越されちゃ意味ないだろー。取り乱して明日出直そうということになったのはたまたまだし、充分先回りできた筈なのに……
●あと、文机の上のアレは処分しなさいよ……
●自分で吹くんならすぐ気づかなきゃ……あと、そのことが身元照会につながったんだろうけど(<説明はなかったけど)、それは原作の漠然とした疑惑と違って直接「悪魔」を指し示すことが分かってるんだから、も少し早く犯人として追いつめるべきでは……
●直接聞き出せる本人がその場にいる状態での「何を見たのか」実験は間抜けすぎ……
●原作の状況と違って利彦殺しのチャンスを作るのは難しかったんじゃないかなあ……
笛を吹いたんです
原作は実は横溝作品で一番好きだったりします。
トリックは小味ですが、伏線の配置、展開の論理性といった部分で実に形の良さを感じさせるミステリになっていると思うんですよね。あの構築美がたまらん。
そして、登場人物にも愛着があります。
美禰子は横溝作品のヒロインの中で一番好きだし、一彦も菊江も東太郎もおすみちゃんも大好き。
あの利彦でさえも、そのダメ人間ぶりに愛おしさを覚えてしまうくらい。
ラスト近くの犯人の言葉を読むと、いつも涙が出そうになるですよ。
ところで、この作品の映像版では恒例となっている劇中曲「悪魔が来りて笛を吹く」。それぞれの映像作品ごとにオリジナル曲が作られるわけですが、稲垣版シリーズで音楽を担当している佐橋俊彦氏は、自分の愛するドラマ『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』でも劇中曲として、遠藤雄弥くんが演じる謎の少年が演奏する「おばけのハーモニカ曲」(ドラマの外でのタイトルは「約束」)を作っています。
なので、今回のドラマでフルート怪人が現れるたびに、ハーモニカおばけも一緒に出現しないかなあ、と馬鹿なことを考えてしまいました。ドラマ『のだめカンタービレ』を観てた時も、遠藤くん演じる大河内がいつハーモニカを吹き始めるかと……(バカ)。
・今日のつぶやき(敬称略)……
●ドラマ『夢のカリフォルニア』を観て宮藤官九郎に、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観て吉岡秀隆に、ドラマ『アキハバラ@DEEP』を観て風間俊介に、それぞれ金田一耕助をやらせてみたいと思う……
●原作通り二十年かかって事件が解決する『病院坂の首縊りの家』をドラマで観てみたい。金田一耕助は吉岡秀隆→森本レオ、ヒロインは増田未亜→水沢アキで……
『虚無への供物』と『33分探偵』
(2008年9月28日にアップしたmixi日記の再録です)
これまでにも小栗虫太郎作品やアントニイ・バークリー作品やジョイス・ポーター作品やコリン・デクスター作品などを連想してきたが。
最終回を観てようやく悟った。
『33分探偵』って中井英夫『虚無への供物』だったのか。
(どこがどうというのはネタばらしにつながるので書かない)
それも『虚無への供物』そのままではなく、犯人と探偵を反転させることで「名探偵の存在理由とは何か」という問いに一つの答を示してみせたアンチ・ミステリー。
なーんてテキトーなことを書いてみる……。
いましめの言葉
(2011年3月29日にアップしたmixi日記の再録です)
「ワトスン君、ぼくが自分の力を過信したり、事件に対して正当な骨折りを惜しんだりして、目につくようなことがあったら、ぼくの耳もとへ『ノーベリ』とささやいてくれたまえ、そうしてくれりゃ、大変ありがたいな」(シャーロック・ホームズ)―コナン・ドイル/阿部知二訳『回想のシャーロック・ホームズ』(創元推理文庫)所収「黄色い顔」より―
「こんな話、忘れちまってくれ。いや、そうじゃない……おぼえといてくれ。そして、いつでもいい、ぼくが自惚れだしたなと思ったら……(略)そのときは、いいかね、君。<チョコレートの箱>って言ってくれ。わかったね?」(エルキュール・ポアロ)―アガサ・クリスティー/小倉多加志訳『ポアロ登場』(ハヤカワ・ミステリ文庫)所収「チョコレートの箱」より―
作曲家・服部公一が書いた「やっこらしょ、どっこいしょ」というタイトルのエッセイがある。
自分は実際に読んだことはなく、北村薫『謎物語―あるいは物語の謎』(中央公論新社。のちに、中公文庫、角川文庫)で抜粋され紹介されていたのを読んだだけなのだが、北村薫の語り口の見事さも相俟って、今も強く胸に刻みつけられているのだ。
そのエッセイがどんなものかは、こちらのブログでも知ることができる。
・報道と誤解―「どっこいしょ」3(高世仁の「諸悪莫作」日記)
(続き)
・報道と誤解―「どっこいしょ」4(高世仁の「諸悪莫作」日記)
報道される事実からは見えない真実もある。
犯罪の容疑で逮捕された人物を犯人と決めつけた報道を見聞きしたとき、自分は心の中でつぶやく。
「松本サリン事件」と。
そして、何かが起きてマスコミや世論が一億総リンチの様相を呈してきたとき、やはり心の中で、こうつぶやくのだ。
「やっこらしょ、どっこいしょ」と。
あ、「セクハラサイコロ」でも可。
『へんしん!ポンポコ玉』
(2006年11月20日にアップしたmixi日記の再録です)
24年前、大林宣彦監督の映画『転校生』が公開された時、その設定を知って思ったのが「これって『へんしん!ポンポコ玉』じゃん!」。
幼い頃大好きだった子供向けドラマ『へんしん!ポンポコ玉』がDVDに。
自分にとって「少年と少女の体が入れ替わる話」といえばコレなんですよねー。
このドラマが放映されたのが1973年の4月~7月。
『転校生』の原作小説、山中恒『おれがあいつであいつがおれで』の初出は、手持ちの旺文社文庫版の大林宣彦解説によると、雑誌『小6時代』1979年4月号から一年間連載とのこと。
男女入れ替わり物としては、このドラマのほうがずっと早かったわけです(もちろん、アイテムで一時的に入れ替わるのと、アクシデントで入れ替わってしまって戻れるかどうかも分からないのとでは大きな違いがありますが)。
さて、このDVD化を知りネットで情報を拾っていて気になったことがありました。
ウィキペディアの「おれがあいつであいつがおれで」の項を読むと、サトウハチローの小説「あべこべ物語」(原題「あべこべ玉」)が『へんしん!ポンポコ玉』の原作だという内容の記述があり、同様のことを書いている個人ブログも見かけました(自分はこの小説のことは全く知りませんでしたが、雑誌に掲載されたのは戦前という話もあり、ドラマよりもずっとずっとずっと早い)。
しかし、Amazonの「商品の説明」を読むと、ドラマに「原作」のクレジットは無い様子。番組資料として原作に触れたサイトがあるか探してみましたが見つかりませんでした。
サトウハチローの小説は兄妹の体が入れ替わる話のようですし、物語自体はドラマ独自のものだと思いますが、作品の核となるアイデアが共通していて、なおかつ入れ替わりのアイテムの名称が小説でも「ポンポコ玉」とのこと。これは無関係だとは思えません。
この小説とドラマの関係について詳しいことをご存じの方がいらっしゃいましたらご教示願えませんでしょうか。情報お待ちしております。
「重いコンダラ」の幻
(2006年11月1日にアップしたmixi日記の再録です)
♪その物の名はコンダーラ 飛雄馬が引く慣らしローラー
どうしたら見れるのだろう 教えてほしい……
清水義範/え・西原理恵子『はじめてわかる国語』の中の「あの歌はこんな意味だった」という章の冒頭で、清水氏は次のように書いています(講談社文庫版205ページ。歌いだしの記号はPCでは出せないので「♪」に替えます)。
子供の頃、歌を覚えて大いに歌っていたのだが、実は歌詞の意味をまるで勘違いしていた、という笑い話がある。自分だけでとんでもない誤解をして、それで正しいもんだと信じていた、という失敗談だ。
その有名なものが、「巨人の星」というアニメのテーマソングだろう。
♪思い込んだら試練の道を
行くが男のど根性
という歌いだしの、「思い込んだら」の部分を「重いコンダーラ」だと思っていた人がいるのだ。
コンダーラとは何か、ときいてみると、星飛雄馬があそこで引いている地ならし装置のことを、コンダーラというのかと思ってたんです、と答える。
確かに、その歌が流れている時、画面では飛雄馬がローラーを重そうに引いてグラウンドを整備しているシーンが映っている。小さな子はそれがローラーというものだとは知らないから、わっ本当に重そうだ、あれはコンダーラというものなのか、と考えてしまうのだ。とても愉快な間違いである。
笑い話としては有名なネタで、知っている人も多いと思います。このことについて触れた文章を見ることも珍しくなく、近年ではある雑誌での大槻ケンヂ×齋藤孝対談の中で話題にのぼっていたのが思い出されます。
あるラジオ番組にこのネタの投稿があってパーソナリティーに大いにウケ、「おもいこんだら」というコーナー名になった、なんてことも過去にはありました。
試しに「重いコンダラ」(「コンダーラ」よりも「コンダラ」のほうが一般的)をグーグルで検索してみたところ、ヒット数は約2万7千件。やはり広範囲に広まっている話のようです。が……。
このネタを見聞きする度に、どうにも引っかかるものがありました。それは、アニメ『巨人の星』オープニングのタイトルバックの中に、そんなシーンは存在しないということを知っていたからです。
しかし、主題歌「ゆけゆけ飛雄馬」はエンディングのタイトルバック(こちらはアニメーションではなく静止画の切り替えタイプ)でも流れており、そちらのほうにも無かったかどうかは記憶がはっきりせずモヤモヤ状態。機会があったら確かめてスッキリさせたいと思っていました。そして、先日立ち寄ったTSUTAYAに『巨人の星』のDVDがあるのを見つけたのです。
エンディングは確か前期と後期で違うバージョンだった筈、ということで、それぞれから一巻ずつ抜き出し、借りてきて確認しました。
結論を言おう!星くんっ(誰だよお前)。
エンディングにもそんな絵は存在せず。つまり、このネタは、有賀さつきアナが「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたという話と同様、事実とは違うことを多くの人が信じこんでいるケースだというのが判明したわけです(実際にはそんなシーンが無いのを承知の上で「まあ、ネタなんだし、うるさく言うこともないだろう」と考えている人も相当数いそうですが)。
「コンダラ」は「はてなダイアリー」のキーワードにもなっていて、その中に「初期オープニングには登場しない?」と書かれていますが、執筆した人は実際にオープニングを見て「アレ?」と思ったことがあるのでしょう。オープニングのアニメーションは一種類で、初期や後期の別など無い、というのが本当のところなのですが。
なお、オープニングのタイトルバックでは歌詞がテロップで表示され、該当の箇所は「思いこんだら」と漢字混じりになっているので、「重い」と勘違いするのは考えにくい、ということも言えます。
実体の無い話がここまで広まったのは、ネタとしての完成度が高い上に、そういえばそんなシーンがあったっけ、と思わせてしまう、人の記憶を操作するような力が働いたからでしょうか。
この話を最初に生み出した人物、というのは間違い無く存在する筈ですが、それを特定するのは無理でしょうね。
雑誌『ビックリハウス』終刊号に再録されていた過去の投稿作品の中にこのネタがあったのを記憶していて、それが自分の知る最古のものだと思うのですが、アニメの放映年月を考えると、もっと前にラジオの深夜放送なんかで既にあった可能性も大いに考えられますし。
そこらへんについて確かな記憶をお持ちの方がいらっしゃいましたら、情報お待ちしております(笑)。
・今日のつぶやき(敬称略)……
●グーグルアースで「ベイカー街」を探してみたところ、岡山市へ……「おれが帰らないと三人の妹たちが殺される……アフガニスタンで戦友の鬼頭千万太がそう言ってたんだよ、ホームズ」「よし、急ごう、ワトスン―獄門島へ」なんて会話を妄想……(あ、「Baker Street,London」と入れたら、ちゃんとロンドンに行けました)……