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砂時計の気まぐれ倉庫

過去にどこかに書いた文章の気まぐれな再録が中心です。

(ネタバレ)『容疑者Xの献身』騒動に関して言いたいと思ってたこと

(2006年9月13日にアップしたmixi日記の再録です)


 東野圭吾『容疑者Xの献身』の真相に触れますので、この小説を未読の方は以下の文章をお読みにならないでください。 

 限られた人しか目を通すことができないようなことを日記に書くべきではないと思いますが、今回は例外。 
 なお、文章の性格上、敬称は略します。 















『容疑者Xの献身』の評価を巡る一連の騒動については、騒ぎの中心にいる二階堂黎人の主張が支離滅裂で、プロ・アマを問わず、またネット・紙媒体を問わず、そのおかしさを指摘した文章は多々溢れているので自分なんかが発言を加える意味などないと思っている(そういった指摘に対してまともに答えもせずどんどん話を歪めている二階堂の姿勢に対しても同様)。 

 ただ、この作品を論じた文章の中に見かけたことがない点について、一つだけずっと言いたいと思っていたことがあった。 
 殺人を犯した赤の他人のアリバイ作りのために新たな殺人を犯す。この逆説に満ちたサプライズが「本格」の面白さでなくて何だと言うのだ。 

 自分にとってはその部分こそがこの作品を「面白い本格」たらしめている一番のポイントなのだ。そして、「幾何の問題に見せかけて実は関数の問題」という実に探偵小説的な発想による倒叙形式と叙述トリックの組み合わせがそれを支えている。 
 中心となるアイデアも、それを生かすテクニックも鮮やかで、「本格ミステリ」の年間ベストに選出されたとして何の不思議もない作品だと自分は思う。 

 以下、コジツケめいた考察。 

 島田荘司占星術殺人事件』や綾辻行人時計館の殺人』などもそうだけれど、トリックの構造が単純であればあるほど、発想の転換による驚きを読者に与える度合いは大きい。そのようなサプライズを含んだ作品は裏を返せば読者が直感的に真相を見抜くことも難しくないわけだが、探偵役の説明を待たずに見破ったとしても、気づいた時点での驚きというものがあり、それはやはり探偵小説の醍醐味を味わわせてくれるものだ。 
「(真相当ての)難易度が低い」ことが「作品の質が低い」ことだとは自分は思わない。サプライズの質こそが重要なのだ。 

 笠井潔小森健太朗は、この作品の被害者入れ替えトリックを古典的であり初歩的であるとして斬り捨てているが、自分はそれに違和感を覚える。上で述べたように真相を見破る読者は多いかもしれないが、そこにあるサプライズをちゃんと読み取っていれば、そのような見方は出てこないはずだ。つまり、彼らにはこの「アリバイ作りのために殺人を犯す」というサプライズが見えていないのではないか。 
  
「富樫殺し」と「ホームレス殺し」を同等の重大性を持つ行為だと認識する読者にとっては、「富樫殺し」のアリバイを作るために「ホームレス殺し」を行うというのは余りにも常識破りの発想であって、だからこそサプライズが生じる。 
 しかし彼らは「ホームレス殺し」を単なる「死体調達の手段」としか見ていないのではないか。だからこそホームレスが出てきた時点で簡単に死体入れ替わりの可能性に到達できた。 
 笠井は「ホームレスが見えない読者」を問題視しているが、自分はそれには納得できない。笠井の論旨に従うなら、本当に問題なのは「ホームレスを死体候補として見てしまう読者」のほうではないのだろうか。