砂時計の気まぐれ倉庫

過去にどこかに書いた文章の気まぐれな再録が中心です。

特命課の推理と証明 -ミステリとしての長坂特捜-

(2006年5月21日にアップしたmixi日記の再録です)

 この度DVD化が決定した『特捜最前線』。 
 この作品の人間ドラマとしての素晴らしさ、刑事ドラマとしての面白さについては多くの人が語っているのを目にする機会があるけれど、ミステリとしての評価を見かけることは少ないように思う。 
 自分は、このドラマの中で長坂秀佳が脚本を書いた推理色の強い作品群は、日本の映像ミステリの中でもトップクラスの質と面白さを誇るものだと思っている。『特捜』が放映されていた頃、自分にとって脚本家・長坂秀佳は、横溝正史高木彬光鮎川哲也都筑道夫といった人たちと並ぶ「好きなミステリ作家」の1人だったのだ。 

 長坂特捜(自分は勝手にこう呼んでいるのだが)の中で、謎解きもの好きのミステリファンとしての自分の好みで傑作を10本選ぶと次のようになる(他にも例えばサスペンス主体の作品ならまた別のセレクトに、というように長坂作品には多彩な傑作が多いのだけれど)。 

114話「サラ金ジャック・射殺犯桜井刑事!」 
 篭城中のサラ金強盗を射殺した桜井。人質たちの証言によってその発砲の正当性が疑われ、査問委員会が開かれる。沈黙を守る桜井。彼は本当に無抵抗の犯人を故意に撃ち殺したのか? 「証明」の波状攻撃によって解き明かされる真実。 

155話「完全犯罪 ・350ヤードの凶弾!」 
 特命課刑事たちの監視下で射殺された代議士。橘はその場にいた大物政治家に疑いをかけ、辞職をかけて捜査に挑む。長坂特捜で唯一、冒頭に犯行の経緯を見せる「コロンボ」タイプの倒叙ミステリ。 

169話「地下鉄・連続殺人事件!」 
 地下鉄の駅で次々と起こる殺人。被害者は皆、犯人によって切符を握らされていた。その意味とは? 被害者たちの関連性は? 容疑者夫婦の無実を信じて滝が駆ける。切符に隠された意味を滝が悟る謎解き場面は圧巻。 

186話「東京、殺人ゲーム地図!」 
 バイクで人をはね、被害者の衣服からボタンを取っていく奇妙な通り魔。やがてそれは連続殺人に発展する。叶は、評論家として犯人の動きを逐一予告し的中させる元上司に疑いを抱くが……。「殺人ゲーム」の規則性と序盤の伏線が味あわせてくれる知的快感。 

251話「午後10時13分の完全犯罪!」 
 エリート警視が企んだ完全犯罪。桜井はそれを崩すことができるのか。「コロンボ」の犯人役吹替えの印象も強い田口計をゲストに迎えた対決もの。 

260話「逮捕志願!」 
 15年前の殺人を告白し、叶に逮捕してくれと願い出てきた男。事件は獄中死した通り魔の一連の犯行の1つとして片づけられていた。男の言葉を信じて捜査を始める叶だが、その主張とは矛盾する事実が明らかになってくる。男は本当に殺人を犯したのか?時効の時が迫る。 

351話「津上刑事の遺言!」 
 4年前に起きた交通死亡事故。歩行者用信号が青だったことを証明すると被害者の息子に約束し、その直後殉職してしまったかつての仲間・津上の遺志を継ぎ、捜査を始める特命課。事故を目撃していたという幻の老婆はどこに? 理詰めの捜査、突き当たる壁、それを打ち破る論理のアクロバット。津上が残した言葉をヒントに謎を解いていく構造が感動を呼ぶ。 

399話「少女・ある愛を探す旅!」 
 自殺しようとしていた少女を救った的場と橘。彼女には戸籍が無かった。戸籍取得のため出生を証明する捜査の過程で、彼女の母親が犯したとされている殺人事件が浮かび上がる。橘は彼女の戸籍と母親の無実を手に入れることができるのか。たった1つの証拠品に行き着く証明の行方と、その方向を示した桜井の推理のハード・パズラーっぷりが秀逸。 

418話「少年はなぜ母を殺したか!」 
 母親殺しで起訴された少年。本人が犯行を認めている中、弁護士・仲田亮子は無罪を主張する。その裏には特命課の影が。全編が法廷シーンという裁判ミステリ。 

420話「女未決囚408号の告白!」 
 保険金目当てで夫を殺害した容疑で逮捕された女。動機も証拠もあり、本人の自白も得られた。だが送検後、調書を見直していた桜井は2つの点に引っかかりを覚える。凶器から欠落していた指紋。そして、現場の隣に住む幼女が聞いたという謎の言葉「メリーさんの羊」。捜査は本当に完璧だったのだろうか。裁判の日が迫る中、桜井は敵意向き出しの未決囚の元へ日参し、真実を突きとめようとするが――。伏線とミスディレクション、そしてホワイダニット。謎解きと人間ドラマの融合。 

 いわゆる「本格ミステリ」は映像作品には向かないという意見をよく聞く。その主な理由としては、探偵役が長々と真相を説明するシーンを絵で見せられるとダレてしまう、というのが挙げられるが、それ以外にも理由があると思う。小説の場合は「文章を読む」という能動的な作業によって読者が伏線を取り込んでいくために、解決編でその真の意味が浮かび上がってきた時の知的快感をダイレクトに味わうことができるけれど、映像作品ではそうはいかない、ということが大きいのではないだろうか。 
 では、映像ミステリでは小説に匹敵する「論理による快感」は味わえないのか。答はNOであり、それを教えてくれたのが、中学生の時に出会った長坂特捜だった。 
 その作品のうちの多くに共通する特徴である、「ある事実を証明する」という形式は、謎解きのベクトルと物語のベクトルが完全に同一であり、「論理」が「物語」を支配し、「物語」が「論理」を支える形となって、「知」の快感と「情」の感動を同時に味わわせてくれるのだ。また、「なぜ」「何が起こったのか」という種類の謎をメインとする作品もあり、これも同様の快感と感動を与えてくれる。 
「犯人当て」でも「トリック解明」でもない、より物語と深く結びついた謎解きの形がある。それを長坂特捜で知ったことは、その後の自分のミステリファンとしての嗜好に大きく影響を及ぼしているような気がする。 
 連城三紀彦『戻り川心中』、加納朋子ななつのこ』、横山秀夫『陰の季節』といった作品に感じる魅力は、自分にとっては長坂特捜の延長線上にあるのだから。