いましめの言葉
(2011年3月29日にアップしたmixi日記の再録です)
「ワトスン君、ぼくが自分の力を過信したり、事件に対して正当な骨折りを惜しんだりして、目につくようなことがあったら、ぼくの耳もとへ『ノーベリ』とささやいてくれたまえ、そうしてくれりゃ、大変ありがたいな」(シャーロック・ホームズ)―コナン・ドイル/阿部知二訳『回想のシャーロック・ホームズ』(創元推理文庫)所収「黄色い顔」より―
「こんな話、忘れちまってくれ。いや、そうじゃない……おぼえといてくれ。そして、いつでもいい、ぼくが自惚れだしたなと思ったら……(略)そのときは、いいかね、君。<チョコレートの箱>って言ってくれ。わかったね?」(エルキュール・ポアロ)―アガサ・クリスティー/小倉多加志訳『ポアロ登場』(ハヤカワ・ミステリ文庫)所収「チョコレートの箱」より―
作曲家・服部公一が書いた「やっこらしょ、どっこいしょ」というタイトルのエッセイがある。
自分は実際に読んだことはなく、北村薫『謎物語―あるいは物語の謎』(中央公論新社。のちに、中公文庫、角川文庫)で抜粋され紹介されていたのを読んだだけなのだが、北村薫の語り口の見事さも相俟って、今も強く胸に刻みつけられているのだ。
そのエッセイがどんなものかは、こちらのブログでも知ることができる。
・報道と誤解―「どっこいしょ」3(高世仁の「諸悪莫作」日記)
(続き)
・報道と誤解―「どっこいしょ」4(高世仁の「諸悪莫作」日記)
報道される事実からは見えない真実もある。
犯罪の容疑で逮捕された人物を犯人と決めつけた報道を見聞きしたとき、自分は心の中でつぶやく。
「松本サリン事件」と。
そして、何かが起きてマスコミや世論が一億総リンチの様相を呈してきたとき、やはり心の中で、こうつぶやくのだ。
「やっこらしょ、どっこいしょ」と。
あ、「セクハラサイコロ」でも可。